昭和44年1月12日 特別奉修委員
どんなに美味しいでも、その美味しい物が毎日、毎日やったら、もう美味しい物が美味しいものでなくなってくるですね、ですから、時々は、いうなら、まずい、貧しいもの、それを頂いて初めて美味しい物のありがたさが分かるのですから、例えば、今日、ただいま風邪を引いておるわけですが、まあ、軽い病気を時々させて頂いてですね、もうずぅっと健康であると言う事はね、健康の有り難さがうすらいでくるような感じですね、それもね、とにかく神様の素晴らしい節理だということをね、知らなければいけません。
神様の御神意だと、思し召しだとね、悟らせてもろうて、ですから、あの、本当にそれによって、あの、日ごろ頂いておるものの美味しさということを分からせてもらう事がね、おかげであって。
今朝、あの御理解のコリを積むな、積ますなとか、コリを。今日の御理解はコリを解(ほぐ)すと言う事に焦点をおいてお話を頂いたんですすよね。
コリをとって信心せよと仰る、コリをとって信心せよということですね。これなんかもでも、やはり、適当にやっぱりコリを積むのもいい、有り難いですね。
ですから、積みっぱなしでね、手があがらんごつなるということになったら、もういけません。ね。けれども、はぁー肩がコルという時には誰かが来てね、はっあ、先生もませて頂きましょうかというてね、これはね、コリを積んだ者じゃかなきゃ分からん、この( ? )。
もう、それはもう、私共は足を、なら、こんなに、ね、肩がこうしてこります。それを、もう、もんでもらう時、これはもう、肩のコリを知らない人はこんな味わいは分からない、だから、これはもう十何年前だったですけれども、コリを積む事がおかげだと、いわゆる、コリを積むと言う事が肩がコルことがおかげだと、ただし、その、もんでもらう人もないというような事では、いよいよ助かってない。ちょいとアンタちょっともんでくれんのうと、はい、ならもませてもらいましょうと言う物があるならね、コリを積むことは、これはもう、とても大事、はぁーもう今日はもう極楽というごたる訳です、ね。
ですから、その問題は極楽というか、本当にもう、こんなに気持ちなことはないというそれが神様の私共に下さるおかげであってね、だから、これも、適当に、いわゆる、時々貧しいものを与えて下さるのと同じ、それが神様の、いわゆる、思し召しであり、神様の節理なのだということをね、分からせてもろうて、けれども、それが、いつも貧しいものばーっかり食べとかなければならないとか、ね、いつも、肩がもうコリっぱなしで、自分では( ? )ことの場合はね、これは多いに反省しなきゃいけないと思うんですね。
けれども、適当に、あの、ほぐしてもらえれる、おかげの頂けれるのは、これはもう、最高のおかげだと頂かなければならんと思うんですね。
どうぞ。
末永静行
2005年4月30日